CBX400Fを発売した頃
今から24年前の1981年11月、予定していたカラーリングの車両とは違う、赤のCBX400Fが、鰍qPMの前身である「村島製作所」に納車された。
1973年に、国内FB(フォーミュラベーシック)クラスの4輪のレースに参戦し(エンジンはヨシムラでした)、その後オリジナルフォーミュラマシンの製作を志したが資金不足で断念、レーシングカートの製作に転向し、某カートメーカーのフレーム下請け担当として、国内カートレースの年間チャンピオンを毎年制覇し続けた(当時のユーザーには、かの鈴木亜久里氏も名を連ねる)が、1979年に以前からやりたかったオートバイ用オリジナルマフラーの生産・販売を開始してから3年目の出来事だった。
既にCB750FZ用で、当時の主流であったプレス加工による集合部製作方法では無く、排気の流れに抵抗を作らない「パイプの加工による」集合部の製作方法に自信を持ち始めていた頃である。(ちなみに、某出版社主催のFISCO最高速テストにおいて、ノーマルで197km/h、それをRPM管装着のみで217km/hという結果を出した・・・・・CB750Fz
ライダー;斎藤仁)
また、80年の第一回バトルオブツイン筑波大会で、シングルエキスパートクラスにバイクレース初参戦で2位以下をコース半周も引き離すブッちぎりで優勝したのもこの頃だった。(ライダー;花村忠昭)
他のメーカーとは明らかに違うマフラーを作りたい。
そんな気持ちで作ったのが後に「P管サウンド」と呼ばれるミドルクラスマルチ4気筒のRPM421だった。
ここで一言・・・・・。
よく、P管サウンドというと爆音か?と言われるが、それは間違えです。
低回転域ではくぐもったような音だが、アクセルを開け中回転〜高回転域において、裏返ったような甲高く弾けるような音質に変化する。
変に作った音とは違うので、心地良いのです。
その音の理由は4in2in1集合とサイレンサー各部の寸法(φ50のアウターサイレンサーとφ22のインナーサイレンサー)それと、マフラー後部から覗いた時にまるでφ50のストレートに見えるようなスロート状の出口形状によるものです。
当社内部では「規制前」という名称は一度も存在しない。
現行の「67Racing」と同じ出口形状のインナーサイレンサーを装着しても、近接排気騒音値はCBX400Fで98dbだった。
いわゆる「F−TYPEインナー」と社内では言っていたタイプ。
更に音量を94dbに設定した「R−TYPEインナー」というのもあった。
その後、両方のインナーサイレンサーを交換出来るようにボルト止めにしたものも発売したが、それを抜いて直管状態で走る事が許されたのは「サーキット走行」だけでした。(それをP管サウンドと呼ばれるのは誠に心外です。五月蝿いだけで良い音もへったくれも無いのです。)
CBX400Fの独特なサウンドは、その後次々と発売したZ400FXやXJ400E・XJ400Dでも忠実に再現出来た。
4本のエキゾーストパイプは、それぞれの長さが等長になるように揃え、当初は#1#4のエキパイが横に鰓を張ったようなデザインだったが、その後今の形に改めた。
理由はなんとフロントフォークの突き出し量を変更した時にフロントタイヤが#2#3のエキパイと干渉してしまった為です。(マニアの間では「ガニ股」と言うらしい事を最近知りました。笑)
当時、一番高い集合管でも¥39,000の時代、独自の4in2in1+アルミサイレンサー装着、それに高価なトリニッケルクロームメッキ仕上げで¥60,000という定価設定をしたにもかかわらず、発売した一ケ月だけで200本を越える注文が入った。(当初応援して頂いた「日交部品」の尾崎社長には今でも感謝してます。)
一ヶ月の残業時間が200時間を越える超ハードスケジュールでもそれをこなすのは至難の業だった。
続く(のか?)